1. 概略と戦前の構想
1944年11月から翌年4月まで、日本はこんにゃく糊で和紙を貼り合わせた大型の気球に爆弾をつけて発射し、上空のジェット気流に乗せてアメリカ大陸を攻撃した。これは「ふ」号兵器(通称風船爆弾)と呼ばれた。およそ9000個が発射され、約280個(3%)がアメリカに到達したと考えられている。アメリカはこれに関する報道を自主規制したため、当時の日本ではその効果はあまりわからなかった。しかし、1945年5月にオレゴン州でピクニックに来ていた6名が、木に引っかかった気球を下ろそうとして、それに付いていた爆弾が爆発して死亡した。これはアメリカ国民に注意を喚起するために広く報道された。
風船爆弾が搭載していた爆弾は35kg程度で、その威力はたかがしれていた。しかし、この爆発でもし西海岸の森林地帯で森林火災が広がったら、その影響は極めて大きくなる可能性があった。さらに重要なことは、もしこの空からのいつどこで行われるかわからない攻撃がアメリカの一般国民に知られたら、アメリカ人の戦争継続への意欲に衝撃を与えたかもしれないことだった。もしそうなれば、他の潜在的な物質的被害よりも影響は大きいため、風船爆弾の攻撃目的の一つとされた。
風船爆弾は気象を利用したためそれに依存した面があったが、大陸をまたいで目標を攻撃する人類初の兵器ともいえた。また日本にとっても風船爆弾の製造は、紙漉きや紙の貼り合わせを含むその製造におそらく数万人の一般国民を巻き込んだため、極秘ではあったが他の多種の分散した兵器の製造と異なって、国民的なプロジェクトだったともいえる。戦後に関係者による数多くの証言が出ている。
戦後、これはこんにゃく爆弾とも揶揄されたが、その評価はさまざまである。アメリカの報告書にはこの攻撃について次のように書かれている [1]。
歴史家は人類最古の飛行物を使ったこの作戦を、アメリカへの報復のための哀れな最後の努力と見なす傾向がある。しかし、これは軍事的概念における重要な発展であり、陸上や潜水艦から発射される今日の大陸間弾道ミサイルに先行するものであった。
日本の風船爆弾(「ふ」号兵器)。[1]より
ここでは、「ふ」号兵器(風船爆弾)について、その根本的な原理を担った気象を含めて詳しく見てみる。なお、「ふ」号兵器の「ふ」は秘匿のために風船の頭文字をとったものとされている [2]。ここでは「ふ」号兵器と風船爆弾という両方の名称を用いている。なお私には、なぜ気球爆弾ではなく「風船」爆弾という名称なのか?という疑問がある。この表現が揶揄なのか、自嘲なのか、純粋に秘匿のためなのか量りかねている。
歴史を遡ると、1933年に陸軍科学研究所の多田礼吉中将が、新しい戦争兵器を調査・開発する「空中輸送研究開発計画案」の責任者に任命され、いくつかの新しい兵器の開発を行っていた。後に陸軍登戸研究所で風船爆弾の責任者となる草場季喜(くさばすえき)中佐は気球を用いた兵器を提案した。それは満州東部から発射して宣伝ビラを撒いてウラジオストクを攪乱することが目的だった [3]。
一方でアメリカ側の資料(おそらく戦後に日本で聞き取ったか、日本の資料を参考にしたと思われる)では、「1933年頃、直径4メートルの小型の定高度気球に爆薬を搭載し、風で爆弾を敵の陣地まで約100km運び、時限信管でそれを投下するものが研究されていた」と書かれている [1]。それを用いれば、第一次世界大戦でドイツ軍がパリに対して使用した長射程砲と近い精度のものが得られると期待された。
しかし、このプロジェクトは1935年に中断された。しかし、気球を使ったこの「ふ」号兵器のアイデアは完全に中止されることはなく、その名称を含めて何らかの形で研究が継続されたようである。爆弾だけでなく、夜間に敵陣に歩兵を隠密に運ぶための気球も検討された [1]。
なお、陸軍科学研究所は1937年12月に登戸実験場を設けて、その実験場長には草場季喜中佐が任命された。登戸実験場は1939年9月に登戸出張所として拡張され、篠田鐐少将が所長となった。さらに陸軍科学研究所が1941年6月15日に第一から第九までの陸軍技術研究所となった際に、登戸出張所は第九陸軍技術研究所となった。しかし、他にもさまざまな秘密兵器を担当していたためその存在は公にされず、通称で登戸研究所と呼ばれたようである。この登戸研究所が引き続き気球を使った兵器の開発を担当した [4]。それが最終的に風船爆弾となった。ここでは、登戸研究所と記すが、軍の組織であることを明確にしたい場合は第九陸軍技術研究所を使っている。
(つづく)
参照文献(このシリーズ共通)
1. Japan's World War II Balloon Bomb Attacks on North America. MikeshC.Robert. 出版地不明 : Smithsonian Institution Press, 1973, Smithsonian Annals of Flight, Number 9.
2. 大本営陸軍部〈9〉. 防衛庁防衛研修所戦史部. 朝雲新聞社, 1975.
3. 櫻井誠子. 風船爆弾秘話. 光人社, 2007.
4. 伴繁雄. 陸軍登戸研究所の真実. 芙蓉書房出版, 2010.
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