2023年5月26日金曜日

地球化学の先駆的女性科学者 猿橋勝子(4)

 7 海水中の放射能の研究

第5福竜丸事件

このブログの「大気圏核実験に対する放射能観測」で述べたように、1954年3月1日に太平洋中部のビキニ環礁で行われた水爆実験(ブラボー実験)によって、第五福竜丸(と付近で操業していた多くの漁船)が被爆するとともに、付近の島の住民の大勢が被爆した。第五福竜丸は3月14日に焼津に戻ったが、その際に船体に積もったわずかな灰を袋に詰めて持ち帰っていた。この微量の灰の分析を受け持ったのが猿橋だった。彼女の分析によって、この灰は珊瑚が爆発の高温で灰化したものであることがわかった [1]。 


第五福竜丸https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%A6%8F%E7%AB%9C%E4%B8%B8#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Daigo_Fukuryu_Maru.jpg

1954年5月に中部太平洋に派遣された農林水産省の練習船俊鶻丸(しゅんこつまる)の調査によって、ビキニ環礁付近の海洋は広域にわたって放射能に汚染されていることがわかった。そして次に問題となったのは、この高濃度の放射能を含んだ海水の行方だった。ビキニ環礁付近には西向きの海流が存在し、やがてフィリピン付近で北に向きを変えて黒潮となる。気象研究所には多くの漁船から海水のサンプルが持ち込まれた。そして、猿橋を含む気象研究所の分析によって、1955年夏には黒潮の通り道となっている日本東方近海に、高濃度のセシウム137(とストロンチウム90)を含む放射能に汚染された海水が押し寄せてきていることがわかった。

分析結果のアメリカとの相互検定

ところが、アメリカで放射能測定を担当していた世界的な権威であるスクリプス海洋研究所のフォルサム博士らは、海水中では放射能は拡散して高濃度になることはないと考えていた。そのため、自分たちの手法による測定値よりも10~50倍も高い気象研究所の濃度値を、測定の誤りとして非難した [1]。

気象研究所での分析手法の正しさを確信していた三宅は、アメリカ原子力委員会に同一サンプルの海水を用いた相互検定を申し入れた。アメリカ原子力委員会はこれを受け入れて、極微量分析手法の現場での比較という前代未聞の実験が行われることになった。フォルサム博士がいるカリフォルニア州ラホヤのスクリプス海洋研究所がその場所に選ばれ、相互検定を行う日本側の分析者として猿橋がアメリカに派遣されることになった。

1962年4月に猿橋は単身で渡米し、相互検定のためにスクリプス海洋研究所に滞在した。相互検定は次のような手順で行なわれた。まず検定する物質には、セシウム137の代わりとして自然界にはないセシウム134が使われた。第三者だけが知っている既知量のセシウム134を、海水50リットルに溶かして4種類の濃度のサンプル溶液をスクリプス海洋研究所用と気象研究所用に用意して、それぞれが分析を行った。分析はセシウムを試薬で沈殿させて回収し、放射線計測器でその量を特定し、既知量と比較する。海水中の放射能物質の分析は、微妙な精密さを必要とするだけでなく、桟橋の先から汲んだ大量の海水を処理しなければならず、大変な肉体労働でもあった。

カリフォルニアにあるスクリプス海洋研究所(wikipediaによる)https://en.wikipedia.org/wiki/Scripps_Institution_of_Oceanography#/media/File:Scripps_Institution_of_Oceanography,_2011.JPG

分析結果は、既知量のセシウムに対する平均の回収率として、スクリプス海洋研究所が86.5±6.0%、猿橋は94.4±2.7%と猿橋による気象研究所の手法の方が回収率が高く、しかも結果のばらつきも小さかった。しかも、いずれのサンプルも計数機のカウントは猿橋の方が2割ほど低かった。これは猿橋のサンプルは、スクリプス海洋研究所のサンプルよりなぜか2割ほどセシウム量が少なく、これは濃度が低くて回収が難しいものだったことを意味している [6]。それでも猿橋の回収率がスクリプス海洋研究所の結果を上回っていた。

これによって猿橋が用いた気象研究所の手法の正確さが確認された。フォルサム博士もこの結果を認め、猿橋を賞賛して尊敬するようになった。日本東方近海のセシウム137の海水中の高濃度は間違いではないことが証明され、アメリカの原子力委員会は日本近海の放射能汚染に関する日本のデータを認めざるをえなくなった。

それまで核実験によって海洋がどれだけ汚染され、それがどう広がっていくのかはわかっていなかった。この発見は放射能が海洋でどのように広がるかを明らかにし、1963年の部分的核実験禁止条約の締結にも影響を与えた。

つづく

参照文献(このシリーズ共通)

[1] 米沢富美子, 猿橋勝子という生き方, 岩波書店, 2009.
[2] 関口理郎, 成層圏オゾンが生物を守る, 成山堂書店, 2001.
[3] 三宅泰雄、猿橋勝子, "大気オゾンの年変化と子午線分布に関する理論," Journal of Meteorological Society of Japan, 第29巻, pp. 347-360, 1951.
[4] Butchart, "The Brewer-Dobson circulation," Rev. Geophys., 第52巻, pp. 57-184, 2014.
[5] Saruhashi, "On the Equilibrium Concentration Ratio of Carbonic Acid Substances Dissolved in Natural Water - A Study on the Metabolism in Natural Waters (II)," Papers in Meteorology and Geophysics, 第6巻, pp. 38-55, 1955.
[6] Saruhashi and Folsom, "A Comparison of Analytical Techniques Used for Determination of Fallout Cesium in Sea Water for Oceanographic Purpose," Journal of Radiation Research, 第4巻, pp. 39-53, 1963. 




0 件のコメント:

コメントを投稿