(このブログは 「気象学と気象予報の発達史 」の一部です。)
2.出身地北欧ノルドランドのこと
ペターセンはノルウェー北部のノルドランド(Nordland:ヌールラン県)ロフォーテン諸島の中にあるハッセル島の貧しい行商人の家で幼少期を過ごした。彼の父は漁師だったが、途中で病気のために漁師を諦め、行商を営んだ。父は行商に出ることが多かったため、彼は父と一緒に過ごすことは少なかったようである。ペターセン家は、1906年にベルゲンの北東ヴィークに土地を買って移住し、農業を営んだ。さらに1910年にはトロンヘイムへと移った。
ノルウェー付近の地図(クリックすると拡大します。[Alt+◀]で戻ります)
しかし、ペターセンの先祖は代々ロフォーテン諸島の漁師だった。彼の伝記[1]によると、彼の父方の祖父は、ロフォーテン諸島では有名な漁師であり、その捕った魚を取引する商人でもあった。そこの漁師たちは嵐に見舞われた際の勇敢な行為を大きな名誉としていた。ペターセンの祖父は船長として嵐で難破した船から人命を救う勇気と技術によって、大勢から尊敬されていた。
ある時激しい嵐に見舞われ、ある船が転覆した。近くのどの船も乗組員の救助を試みることができなかった。その時、彼の祖父が船で駆けつけ、押し寄せる波を利用して何度も救助を続け、結局転覆した船の17人全員を無事救助したもあった。しかし、ペターセンが生まれる遙か前の1870年に遭遇した嵐の中で、祖父は冷たい荒波を被りながらも船長として舵を離さなかったため内臓に凍傷を負い、しばらくした後に亡くなった。
また、母方の祖父もロフォーテン諸島で有名な漁師だった。嵐の天候の下での操船ではこの祖父にかなう者はいなかったそうである。祖父は「音の変化で岩礁を見分けることができる」という並外れた能力を持っており、吹雪の暗闇の中を耳を頼りに操船できたと語り継がれている。ペターセンはこの母方の祖父と一時期一緒に暮らしており、鳥や動物の行動と天候との関連などを含めて、自然に関するさまざまな知識を祖父から受け継いだようである。ペターセンの自然に対する鋭い感覚はこの時に養われたものかもしれない。
また[1]は、ノルドランド、エスキモー、ラップランドなどの自身の回りのさまざまな当時の文化などにも触れている。例えばエスキモーの「父親殺し」の風習にも触れている。これは父親も名誉なことと理解しており、長男による敬意と慈愛のこもった厳粛な行為だったそうである。このように[1]は、20世紀前後の北欧の民族誌的な観点でも興味深いものとなっている。
トロンヘイムへ移った後に、ペターセンは15歳で電報局で働き始めた。トロンヘイムには陸軍下士官学校があり、中等教育も行っていた。家は貧しかったが向上心に富んだ彼には、有給で学べるこの学校が魅力に映った。しかも陸軍大学校入学の条件となるギムナジウム(大学へ進学するための高等教育機関)の卒業資格を得るために、この学校がギムナジウムへ通う奨学金を出す制度もあった。彼は陸軍下士官学校へ入った後、狭い枠を突破して奨学金の試験に合格して、ギムナジウムへと進学した。
ギムナジウムに進むと、陸軍大学校へ進学するというペターセンの考えは変わった。ただ奨学金を受けた際に、陸軍大学校入学がその条件となっていた。彼は高級将校に相談して、陸軍大学校への入学免除となるオスロ大学へ進むことにした。ただし、最低半年間は有給の見習い軍曹となるのが条件だった。そして、そのオスロ大学で気象学のベルゲン学派と出会うことになる。
参照資料
[1] Sverre Petterssen, 2001: Weathering the Storm: the D-Day Forecast, and the Rise of Modern Meteorology (Edited by James Rodger Fleming), American Meteorological Society.

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