マイクロバーストへの対策
藤田による1982年6月の観測の報告書を見た人々は、マイクロバーストの決定的証拠もさることながら、186個というマイクロバーストの発生数の多さに仰天した。これは決してまれに起こる現象ではなかった。しかもマイクロバーストが起こりそうな状況は15分から20分程度の継続時間しかなく、その中で実際にマイクロバーストが起こっている時間はわずか5分程度だった。1982年7月9日にはパンアメリカン航空機がマイクロバーストで墜落して、乗員だけでなく地上の人を含めて153名が亡くなった。1985年8月2日にはデルタ航空機がやはり墜落して、135名が亡くなった。マイクロバーストへの対策は緊急な課題となった。
マイクロバーストが航空機に与える影響のメカニズムは次のようなものである。航空機は、空港に近づくと滑走路にが着陸しようと低高度で速度を落とす。もしその時にマイクロバーストに遭遇すると、まずマイクロバースト周辺の向かい風が航空機の機首を持ち上げる。これを抑えようとパイロットが機首を下に戻したとき、下向きのダウンバーストにぶつかって機体の高度が下がる。その後マイクロバースト直下を出ると、すぐに強い追い風が機体の相対速度を下げてこの機の揚力を減じて、機体は地面へと落下する[1]。
ダウンバーストの航空機への影響(気象庁ホームページより)
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/kouku/2_kannsoku/23_draw/index8.html
対策は、マイクロバーストの早急な発見とそれに遭遇した際の操縦方法に絞られた。主要な空港にはマイクロバーストを監視するターミナル・ドップラー・レーダーシステムが設置された。万一遭遇した場合の緊急の操縦方法が訓練されるとともに、航空機には風の急変を知らせる警報装置が取り付けられた。それらにより、1985年まで平均して18か月に1回起きていたマイクロバーストによる航空機事故は、次は1994年まで起きなかった。
藤田は日本でもマイクロバーストの観測を行っている。1991年に台風19号が九州に上陸した際に、その直後に航空写真を撮って分析して、大分県で放射状に倒れた数千本の倒木を発見している[4]。
藤田は1975年までアメリカのダウンバーストの数はゼロだったと述べている[4]。もちろん、それはその年に藤田がダウンバーストを発見するまで、それが知られていなかったかったためである。気象学がこれほど劇的な形で直接的に人命を救ったのは珍しい。藤田によるマイクロバーストの発見に疑問を呈する人はいなくなり、この発見はそうでなければ起こったかもしれない多くの航空機事故から人々を救うこととなった。
なぜミスター・トルネードなのか?
藤田は1990年にシカゴ大学を退職したが、それまでの功績から生涯大学に残って研究することが認められた。その後も精力的に研究活動を続けていたが、晩年に糖尿病が悪化し、1998年11月19日にシカゴの自宅で亡くなった。78歳だった。
「はじめに」のところで、「藤田哲也については、日本ではアメリカほどには知られていないのではないか」と述べた。その理由については、まず日本ではダウンバーストによる大きな被害が少ないためではないかと思われる。それまでは多少の被害があってもすべて強風による被害として処理されたのかもしれない(現在は強風被害について気象台が綿密な現地調査を行っている)。また、竜巻について彼が日本で調査を行ったことは少なく、そのためフジタスケールの名前は聞いたことがあっても、一般の日本人にとって彼の知名度は低かった。
藤田の活躍はそのほとんどがアメリカであっただけでなく、彼は九州にある明治専門学校の工学部出身だった。学位論文でお世話になった正野重方などのごく一部の人々を除いて、日本の気象界の中で彼のことに詳しい人が少なかったことも、彼の知名度が低かったことと関連していると思われる。しかしNHKがドキュメンタリー番組で取り上げたりしたので、彼の名前は近年知られるようになってきていると思う。
このブログのタイトルは「ミスター・トルネード 藤田哲也」である。最後に藤田がミスター・トルネードと呼ばれるようになった所以を述べておく。実はこれは友人たちによる彼の愛称ではない。彼がシカゴの地元の新聞記者から取材を受けた際に、自ら「ミスター・トルネードと呼ばれている」と述べたそうである。翌日、新聞には「ミスター・トルネード シカゴ大学藤田博士」という記事が載った [3]。彼はその記事を気に入って多くの人に配ったそうである。これは藤田の洒落たウィットではないかと思う。藤田はこういった自分のジョークが好きな自己演出的なところがあった。
彼の業績に対する表彰は以下の通りである [4]。
1959年 日本気象学会岡田賞
1967年 米国気象学会メイジンガー賞
1975年 アラバマ州民間防衛局特別貢献賞
1975年 局地性嵐会議視覚表現最良賞
1976年 アーカンサス州特別貢献賞
1977年 航空安全財団アドミラルルイスデプロレス賞
1977年 航空安全財団特別貢献賞
1978年 アメリカ気象協会応用気象学賞
1979年 アメリカ航空宇宙局特別貢献賞
1982年 アメリカ航空宇宙学会ローシー大気科学賞
1985年 アメリカ商務賞気象衛星25周年記念メダル
1988年 アメリカ気象学会応用気象学賞
1989年 フランス航空宇宙アカデミー金メダル
1990年 日本気象学会藤原賞
1991年 日本国政府勲二等瑞宝章
なお、以下のウェブサイトには藤田哲也についての詳しい対談が掲載されている。もっと興味を持った方には参考になるかもしれない。
・ふるさと歴史シリーズ「北九州に強くなろう」 No.18 世界の竜巻博士 藤田 哲也
2022年4月19日の朝日新聞夕刊に、藤田博士が福岡管区気象台で講演した際の動画が、福岡管区気象台のホームページで公開されている旨の記事が載った。また、そのホームページでは藤田博士の貴重な資料もいくつか公開されているので、そのリンクを掲載しておく。
・気象の知識 - 藤田哲也博士の講演動画
(このシリーズ終わり)
参照文献(シリーズ共通)
1. Cox J. 嵐の正体にせまった科学者たち. (訳) 堤之智. 出版地不明 : 丸善出版, 2016.
2. 丸山俊一・高瀬雅之. ブレイブ 勇敢なる者「Mr.トルネード~気象学で世界を救った男~」. NHKエデュケーショナル; NHK, 2017.
3. 佐々木健一. Mr. トルネード 藤田哲也 世界の空を救った男. 文藝春秋, 2017.
4. 藤田哲也. ドクタートルネード 藤田哲也. 藤田記念館建設準備委員会事務局, 2001.
5. Fujita Tetsuya (1950) Micro-analytical study of thunder-nose. Japan Central Meteorological Observatory, Geophysical Magazine, 22, 2, 71-88.
6. John M. Lewis (1993) 正野 重方 ―The Uncelebrated Teacher―. 日本気象学会, 40, 8.
7 Fujita Tetsuya (1957) A Detailed Analysis of the Fargo Tornades of June 20, 1957. University Chicago and National Weather Bureau. US Department of Commerce, 1960. Research Paper No.42.
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