2 ラキ火山噴火の特徴
2.1 一般的な火山噴火の大気への影響
2010年にアイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル氷河の火山が噴火し、欧州を中心に世界中で航空機の運用がストップして、航空機を用いた旅客輸送に大きな影響を与えたことを覚えておられる方も多いのではなかろうか。しかし、これは火山噴火が引き起こす大気への影響のごく一部に過ぎない。
火山噴火の中で、最も長期にわたる影響が考えられるのが、気候への影響である。ちなみに、どんなに大規模な噴火でも噴火で噴煙が成層圏に入らなければ、それによる大気への影響はせいぜい数週間か1~2か月である。噴煙から放出された対流圏中の灰やエアロゾルは重力沈降で大気中から除去され、火山ガスも雲や雨や他の沈着過程で除去される。
しかし、二酸化硫黄などの火山ガスがいったん成層圏に入ると、そこで硫酸エアロゾルなどへ変質し、数年にわたって滞在する場合がある。そうなると成層圏の硫酸塩エアロゾルは、地表への太陽放射を反射や散乱して、地上へ到達する日射量を減らして気候へ影響を及ぼす。そのため、噴火によるさまざまな短期的な影響は別として、長期にわたる気候への影響が起こるかどうかは、火山ガスを含む噴煙がどの程度成層圏に入ったかが一つの目安となる。
火山噴火による気候への影響として、1991年のフィリピンのピナトゥボ火山噴火がある。それによる気候変化は冷害による平成のコメ騒動を引き起こし [1]、日本の食卓に大きな影響を与えたことを覚えておられる方も多かろう。
2.2 噴火の状況
ラキ火山の噴火は、1873年5月中旬にアイスランドのグリムスヴォトン火山による比較的穏やかな噴火活動から始まった。そのグリムスヴォトン火山の一部であるラキ火山の大噴火は1783年6月8日に始まった。これは27 kmという長さを持つ割れ目からの大噴火だった [2]。ヨーロッパではその直後から異常な大気状態が起こっていたが、当時は情報網が確立しているわけではなく、ヨーロッパ中心部から外れたアイスランドでのこの噴火の発生が、初めてヨーロッパに伝えられたのは9月1日になってからだった [2]。
ラキ火山の溶岩は流動性が強く、それほど圧力を貯めないので噴火による爆発の威力はそれほど大きくなかったようである。この火山噴火による噴煙の到達高度は最大でも15 km程度と考えられている [3]。これから放出された噴煙は、多くの火山噴火がそうであるように大量の灰、塵、およびエアロゾルを生成する火山ガス(特に二酸化硫黄)を含んだ。
熱帯であれば、噴煙の高度がこの程度の火山噴火で世界規模の気候変動を起こすことは少ない。しかし、このラキ火山の噴火が世界的な気候変動を引き起こした原因は2つ考えられる。一つはラキ火山が北緯65°付近と高緯度に位置していたことである。熱帯では高度18 km程度の圏界面(成層圏と対流圏の境界)は、この緯度だと高度10 km以下であり、噴煙に含まれる二酸化硫黄などのガスが容易に成層圏下部まで達したと考えられる。もう一つの原因は、この噴火が1784年2月まで長期にわたって大量の火山ガスを放出し続けたことである。
この噴火は、14.7 km3(4 Gt)の玄武岩質の溶岩流を放出し、その広がりは580 km2に及んだ [2]。これは東京都23区の面積よりやや狭い位の広さである。ちなみに1991年のピナトゥボ火山の噴火による噴出物量は10 km3程度と考えられている。また、ラキ火山噴火による落下した火山灰の体積は0.4 km3(110 Mt)と考えられており、これは1980年のセントヘレンズ山の爆発的噴火による量の2倍である [4]。
そして、6月から8月にかけてのラキ火山の噴煙柱の各地からの観測で得られた当時の推定では、噴煙の高さは9 kmを超えていたことが示されている [4]。その結果、ラキ火山の噴煙は成層圏下部に達するとともにジェット気流の高度にまで到達し、蛇行する北ヨーロッパ上空の風に乗って各地に拡散したと考えられている。しかし、噴煙は成層圏の中・上部までは達しなかったと考えられている。
2.3 放出された火山ガスの状況
ラキ火山噴火において、大きな噴火は一度だけでなく何度か起こった。最初10日間で起こった3回の大規模噴火で 40 Mt、次の3回の噴火で33 Mtの二酸化硫黄が放出されたと考えられている [5]。これらを含む初期の合計で10回にわたって起こった噴火によって98.5 Mt [4]または122 Mt [5]の二酸化硫黄、7 Mtの塩酸と15 Mtのフッ化水素 [6]が噴火で放出された。
初期の噴火の一部は高度13 kmを超えたと推定されているが、噴煙柱の観測によって最初の3か月間の噴火の大部分は9~13 kmの高度に到達した [4] [5]。アイスランド付近の圏界面は高度8~9 kmなので、噴煙の大部分は成層圏下部へ入ったと考えられている。この二酸化硫黄のガスは同時に放出された大量の水蒸気によって、成層圏で180 Mtの硫酸エアロゾルに転化したと考えられている [5]。このエアロゾルが、後述するように1783年6月から7月にかけて、気象状況に応じてヨーロッパ各地の地上でヘイズをもたらしたと考えられている。
噴火の威力がそれほど強くなく、火山ガスと火山灰の噴出物の注入は高度9~13kmと対流圏上部と成層圏下部に限定されたため、成層圏中のエアロゾル滞留時間の推定はおそらく1年未満だろうと推定されている。しかしその間に、継続的な噴火による二酸化硫黄の供給によって、25~30 Mtという大量のエアロゾルが成層圏下部で存在しつづけたと考えられている [4]。これは1991年に噴火したフィリピンのピナトゥボ火山の噴火による二酸化硫黄の放出量に匹敵する。ただしピナトゥボ火山噴火の場合は亜熱帯域であったために噴煙で生成されたエアロゾルは全球へと広がったが、ラキ火山噴火の場合はほとんど北半球に留まって、その分濃度が高くなったと考えられている [4]。
一方で噴火によるものだけではなく、ラキ火山から流れ出した溶岩からの脱ガスによって、25 Mtの二酸化硫黄が8か月間にわたって徐々に放出された。それらも1783年6月から10月にかけて北半球に広範囲のヘイズを引き起こしたと考えられている[4]。しかし、このガスは境界層内に直接放出されたので、高い乾性沈着率とレインアウト(雲中の除去)のために二酸化硫黄ガスとそれから生成されたエアロゾルの大気中の滞留時間は短かったと思われる。
(つづく)
参照文献(このシリーズ共通)
[1] 田家 康(2016)異常気象で読み解く現代史, 日本経済新聞社.
[2] Demaree R.G., Ogilvie E. J.A.(2001)Bons Baisers d'lslande: Climatic, Environmental, and Human Dimensions Impacts of the Lakagfgar Eruption (1783-1784) in Iceland. (編) Jones D.P., ほか. History and Climate Memories of the Future?, Springer Science+Business Media, LLC, 219-246.
[3] Stothers B., J. A. Wolff, S. Self, and M. R. Rampino(1986)Basaltic fissure eruptions, plume height and atmospheric aerosols, American Geophysics Union, Geophysics Research Letters, 13, 725-728.
[4] Thorvaldur Thordarson and Stephen Self(2003)Atmospheric and environmental effects of the 1783-1784 Laki eruption: A review and reassessment, American Geophysics Union, Journal of Geophysical Research (D1), 108.
[5] Grattan J. et al.(2005)Volcanic air pollution and mortality in France. Comptes Rendus Geoscience, 7, 337.
[6] Oppenheimer C. and C. Witham(2005)Mortality in England during the 1783-4 Laki Craters eruption, Bulletin of Volcanology, 67, 15-26.
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