1957年にソビエト連邦が人工衛星の打ち上げに成功すると、米国がすぐにそれに追いついて、宇宙での軍事技術競争が始まった。ロケット開発はもともとは弾道ミサイルのためで、人工衛星の開発も、宇宙からの地上の軍事偵察が目的の一つだった。しかし、宇宙から地上を見ると雲も見える。軍事偵察からすると、雲はそれを邪魔するものだった。しかし、一方で雲の把握は気象観測にとって重要だった。
時は冷戦の真っ最中だった。偵察機やスパイを送り込んだ相手国の情報収集が重要な手段となっていた。しかし偵察機U-2が撃墜されたり、スパイは相次いで逮捕されたりして、どれも決め手に欠いていた。
高高度偵察機 U-2
https://ja.wikipedia.org/wiki/U-2_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:1st_Reconnaissance_Squadron_Lockheed_U-2R_80-1068.jpg
そこで出てきたのが、人工衛星による気象観測である。これと軍事偵察は、手段・手法はほぼ同じであり、目的が異なるだけだった。人工衛星の平和利用のシンボルとして、衛星による気象観測が挙げられた。ちょうどコンピュータモデルを用いた気象予測も始まっており、全世界の気象データが必要になっていた。
アメリカは、人工衛星を用いて宇宙から世界中の気象観測を行うとともに、全世界の地上気象観測データを衛星通信などで交換することを画策した。1961年9月25日に、アメリカのケネディ大統領は、国連総会において衛星とそれを用いた通信網を用いて、気象通信網と気象予報に関する各国による協力を提案した(気候変動社会の技術史(日本評論社)の公式解説ブログ「国際政治とグローバルな気象観測網 」も参照)。これは別な見方をすると、人工衛星を用いた軍事偵察の平和目的の気象観測による合法化という面もあった。
ケネディ大統領の提案は国連総会で公式に採択され、それを受けて世界気象機関(WMO)は世界気象監視(World Weather Watch)プログラムの設立に動いた。これは1960年代に徐々に機能し始めて、気象観測だけでなく、それを集めるデータ交換のための世界初の全球規模での通信網ともなった。このプログラムは現在も機能しており、ウクライナや北朝鮮を含む全世界の気象観測データが、各国の主義主張を超えてほぼリアルタイムで全球規模で交換されている。気象予報モデルは全世界の気象データを必要とする。そのため、気象予報はこれによって大きな恩恵を蒙っている。
2024年5月 地上気温 月統計値の例(気象庁の世界の天候データツールより)。北朝鮮やウクライナ(黒海付近)を含めて、多数の観測報告があることがわかる。これは気候値用のClimat報であるが、予報用のSynop報もほぼ同じである。
静止衛星や極軌道衛星による気象観測は、広域の雲の可視化に威力を発揮した。海上のはるか遠くにある台風とその構造なども一目瞭然にわかるようになった。また、宇宙から見た雲画像は、天気予報番組などで今でも盛んに使われて、欠かせないものとなっている。
ただ、衛星による観測結果を気象予報モデルの入力として実際に使うのは簡単ではなく、長い期間にわたって気象予報の精度向上にはあまり寄与しなかった。衛星は主に地球からの可視光を含む放射量を観測しており、それを気象予報モデルの初期値として使うために格子点での気象要素に変換すること、が困難だったためである。
それを解決したのはデータ同化という計算機技術だった(このブログの「データ同化に革新を引き起こした佐々木嘉和 」を参照)。衛星で観測した放射量を、同化モデルを用いて気象予報モデルのための初期値を作成することが可能になった。現在では、気象衛星による観測結果は、気象予報に極めて重要な役割を果たしている。