2026年3月2日月曜日

第二次世界大戦における気象戦(2)暗号書の争奪戦

     (このブログは 「気象学と気象予報の発達史 」の一部です。)   

 第二次世界大戦における気象戦(1)
では北大西洋での気象予報のため、グリーンランドで気象観測所の争奪戦が行われたことを述べた。ここでは暗号解読について述べる。気象観測結果は暗号で通信されたため、それは暗号解読と大きな関連があった。

まず暗号について簡単に記しておきたい。通信文を暗号化するには、原理的には暗号化と復号化をある規則で行うことが基本である。しかし暗号化の手順は規則的なので、事例を重ねると暗号文から通信内容の推測が可能となることがある。そのため、送り手と受け手だけが使う特別なキーとなる数字(例えば乱数表などを使う)をさらに加えたりなどが行われる。それらは日によって変わったりするため、その使用方法は暗号書に記されている。

軍全体などの多数の送り手と受け手がある大規模な無線通信だと、ある規則に従って機械的に暗号化と復号化を行う方法が採用された。ドイツ軍では、暗号化にエニグマ暗号機と呼ばれる装置が使われた。

エニグマ暗号機
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8B%E3%82%B0%E3%83%9E_(%E6%9A%97%E5%8F%B7%E6%A9%9F)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:EnigmaMachineLabeled.jpg


 エニグマ暗号機は、アルファベットがならんだ回転円筒(ローター)を組みあわせて暗号化と復号化を行う複雑な機構を持っていた。そして暗号化する際には、ローターの選択やその最初のセット位置などは暗号書で規定されていた。そのため、復号化には同じエニグマ暗号機を持っているだけではだめで、暗号を復号化するための暗号書が必要だった。そのため、暗号書と暗号機が共に各部隊に配布された。

エニグマ暗号機のローター
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8B%E3%82%B0%E3%83%9E_(%E6%9A%97%E5%8F%B7%E6%A9%9F)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Enigma_rotor_set.png
 

第二次世界大戦が始まると、このエニグマ暗号機による暗号を解読する戦いが始まった。イギリスでエニグマ暗号の解読を行ったのは、ロンドンの約80km北にあるブレッチリー・パークにある暗号学校だった[1]。イギリスでは、暗号機を製造していたポーランド人などからの情報をもとに、エニグマ暗号機を模倣したものを製作した(盗んできたという説もある)。これによってエニグマ暗号機の原理は理解された。

しかし暗号書がないと暗号の復号化は出来なかった。また暗号機もプラグボードなどが付加されて改善された。そのため、ここに暗号機と暗号書の争奪戦が起こることになった。なおイギリスでは、アラン・チューリングが中心となって暗号全般の解読に対応できるような総当たり的な方式の暗号解読機の開発も行われた。

気象観測の通信は暗号で行われる。定期的に通信が行われるので発信位置を把握しやすい上に、観測所の武装もそれほど強固でないことが多い。つまり気象観測所や気象観測船を狙えば、襲撃しやすい上に暗号書が手に入る可能性が高かった。そのため、暗号装置や暗号書の争奪戦に、気象観測所や気象観測船などが狙われることが多かった。

暗号解読のための気象観測船の襲撃1

1941年3月、トロール船を改造したドイツの気象観測船「クレブス」は、ノルウェーがスカンジナビア半島東端のロフォーテン諸島で、パイロットや船員の視力維持に不可欠なビタミンAの供給源となるタラ油加工工場を襲撃した。しかし、逆にイギリスの駆逐艦「ソマリ」に砲撃され炎上した。

燃え残った船体に乗り込んだイギリスの水兵たちは、船長室にあった円盤が暗号機の一部ではないかと疑い、それが入った箱を持ち出した。この円盤は気象暗号を作成するために使われていたエニグマ暗号機のローターだった。これによって風速、風向、気温、湿度、気圧、雲量、降水量などの気象観測データとその位置を1文字に縮めて、通信時間を数分から数秒に短縮していた。しかも暗号は毎日変わるようになっていた。このローターはブレッチリー・パークに早速送られた。これによって、イギリスは気象観測結果がエニグマ暗号で通信されていることを知った[2]。

暗号解読のための気象観測船の襲撃2

イギリスは位置を把握しやすい気象観測船の拿捕を推進した。ドイツの気象観測船を捜索していたイギリス巡洋艦「エジンバラ」と「ソマリア」は、1941年5月7日の午後に逃走しようとしていたドイツの気象観測船「ミュンヘン」を発見した。「ミュンヘン」はまもなく射程距離に入り、砲弾がこの気象観測船を夾叉した。生命の危険を感じた乗組員は、エニグマ暗号機とその暗号書を残したまま船を捨てた。イギリスの士官たちは船に乗り込んでエニグマ暗号機と暗号書を確保することに成功した[2]。

このように、イギリスは1941年7月までに拿捕したUボートや気象観測船から暗号書とエニグマ暗号機を押収した。それらはロンドン北のブレッチリー・パークの暗号解読センターを送られた。

暗号解読のための気象観測所の襲撃

1941年にグリーンランド付近の海上の警備を受け持つパトロール隊が組織され、グリーンランド・パトロール隊と呼ばれた。このパトロール隊は砕氷機能を持つカッター(小型船)「ノースランド」を旗艦とし、他の古い木造船と合わせて3隻で構成された。指揮はグリーンランド周辺の海を長年にわたって研究して熟知していたエドワード・アイスバーグ・スミスが執った。彼は1942年6月30日に少将となり、戦後はウッズホール海洋研究所の所長を務めることになる。

エドワード・アイスバーグ・スミス
https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_H._Smith_(sailor)#/media/File:Edward_H._Smith_(2).jpg

1941年9月初旬に、スミスはドイツ軍がグリーンランド沿岸から気象情報を発信している無線に気付いた。彼は、スコレスビズンドから300km北のマッケンジー湾に、ドイツ人と思われる小集団が上陸したことをスレッジ・パトロール隊(第二次世界大戦における気象戦(1)を参照)から知らされた。彼は「ノースランド」とともに近くを目指した。

 

グリーンランド周辺の地図 

スミスはそこで、ノルウェー船籍のトロール船「ブスコエ」を発見した。そのトロール船を臨検すると、漁船にしては珍しい多数の無線機器があった。乗組員を尋問した結果、乗組員の上陸と無線発信を認めたため、この船は拿捕された。その夜、「ノースランド」からの12人の襲撃隊が、乗組員が上陸した海岸の気象観測小屋を包囲した。襲撃隊は観測小屋に踏み込み、中にいた気象観測員が燃やす前に暗号書を奪い取ることに成功した[2]。

カッター「ノースランド」
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/32/Northland_Color_1.jpg

このような戦いで解読されたドイツの暗号は、ウルトラ情報と呼ばれて秘匿された。そのウルトラ情報によってイギリスは、「イギリス上空の戦い」においてドイツ空軍による攻撃をくいとめ、ドイツのイギリス本土侵攻作戦のための準備状況を知って適切な対応を講じることができた。また北アフリカで、ロンメルのアフリカ軍団が予期していない所にイギリス軍が忽然と現れては攻撃を行い、また別の場所ですばやく攻撃をしかけることができた[1]。このように暗号を解読することによって、イギリスは第二次世界大戦中に、ドイツ軍の大規模な動きをほとんど手に取るように事前に察知できていた。

この暗号戦の影響は、決してヨーロッパだけではなかった。日本海軍はエニグマ暗号機を改良した暗号を使っていた。[1]はイギリスの助力により、ワシントンはウルトラ情報に相当する日本軍の暗号を本格的に解読できるようになった、と述べている(なお、アメリカは通信解析による暗号解読を独自に行っていた)。マッカーサーとニミッツの東南アジアと太平洋戦域における戦略においても、ウルトラ情報は主要な役割りを演じたようである。

参照文献

[1]ウィンターボーザム(平井イサク訳)、ウルトラ・シークレット、早川書房、1978
[2] John Ross, THE FORECAST FOR D-DAY, LYONS PRESS, 2014.